アメリカでの大学院生活も3年目に入って、少しは色々なことが見えるようになってきた。以前にもどこかで書いたかもしれないけど、日本の学生は作文・プレゼンテーション能力を鍛えるべきだと思う。でも、残念ながら上手く教えられる教員がいないからか、日本の大学ではそういう授業がないんだと思う。自分の研究を他人に理解してもらうためには、丁寧にわかりやすく説明することが重要で、その点において日本の学生とアメリカの学生には大きな隔たりを感じる。こっちの学生を見ていると、授業のレポート書きの延長線上で論文を書ける気がするけど、少なくとも自分の学部時代の体験では、レポートと論文はまったく別物だった。
とここまで書いておいて、ここから逆の主張をすることになるけど、作文・プレゼン力があまりにも優れていて、一しかないことを十にも膨らませて説明できるのもちょっと困ってしまう気がする。アメリカの研究大学で大学教授として生き残っていくためには、グラント(=研究資金)を勝ち取る能力が必須で、研究資金を得るために大学教授は相当な労力を費やす。研究資金がないと、大学院生・ポスドクが雇えない、(研究資金を自分の給料にも充てている場合は)給料も入ってこない、研究に必要なモノが買えない、そして余計に研究が進まなくなって全然成果が出ない、となってしまうため。当然大学・分野によって変わってくると思うけど、多くの理系分野(特にサイエンス)ではこれが当てはまると思う。
研究資金を勝ち取るためには、明確に自分の研究プランを説明することが求められる。奨学金を狙う学生や大学院に出願する学生も、レベルはかなり違うけど、明確にプランを示すという点では一緒だと思う。だから、作文・プレゼン力がある人は、学生の頃からより多くの賞与をもらって、論文もどんどん出版し、将来的にも多くのグラントを獲って生き残ることができる。もちろんはじめに言ってるように、この能力自体は非常に重要なことだと思う。自分の研究を誰にでもわかりやすく伝えることは、研究者としての義務みたいなことだとも思う。でも時々ふと思うのは、説明が下手な人がいるんだから、説明が上手い人もいる。そして中にはちょっと上手すぎる人もいるはず。それってどうなんだろう、と。採択率が40~60%と言われるロボット系最大の国際学会締め切りが先週金曜で、アメリカからの採択率ってどれくらいなんだろうと思いながら、なんとなくそんなことを考えていた。